知ることについて
次の参議院選挙から18歳の人でも投票ができるようになります。
「どの政党に入れればいいのかわからない」や「正直言っていいところ(政党,候補者)が無い」といった意見をよく耳にします。
情報を手に入れ考えた結果”自分の意見と完全に一致する政党が無い”というのは仕方ないと思いますが、それ以外の"わからない"や"知らない"と言っている人について僕は少し物申したいです。
近年、スマートフォンやパソコンの普及により、情報を手に入れる手段が増えています。しかし、なぜ君たちはわからないや知らないと言うのでしょうか。それは、君たち自身が知ろうとしていないためではないのでしょうか。
情報は決して歩いて来ません。自分から求めなければなりません。
なぜ18歳に引き下げられたのか考えたことはありますか。
どの政党がどのような方針で国を動かそうとしているのか知ろうとしたことはありますか。
政治家を意味もわからずバカにしていませんか。
記事を見てその情報をただ鵜呑みにしていませんか。
情報には様々なものがあります。
正確なものから虚構のもの
批判的なものから肯定的なもの
情報を発信する人の考えが多く含まれているもの
僕達は、知らなければならない。
幸い、僕達には多くの手段があります。テレビ、新聞、スマートフォン、掲示板...
まずはどの方法でもいいので情報に触れてみてください。
情報に日常的に触れることが出来れば次のステップです。同じニュースでも、別の放送局、別の新聞社、別の記事と違ったものがあります。これらを見比べてそれぞれどのような意図をもって記事にしているのかを考えてください。
ここで1つ重要なことがあります。それは、自分の考えを持つことです。
例えば、「**は戦争をしようとしている」という記事があったとします。果たしてそれは正しいのでしょうか。「**党は嫌いだけど、民主主義は守りたい」というポスターがあったとして、**党じゃなければ民主主義は守れないのでしょうか。
このように、文章には、裏の意図が含まれている場合が多くあります。そのため、情報を見たときに自分で考えるということが重要です。
まとめ
僕達は、知らなければならない。 そして、 自分で考えなければならない。